diary 2003.01a



■2003.01.04 土 

 帰省先から帰宅。でも行程の殆どは高速道路だ。日本一の赤字路線は渋滞も無く、晴天だったので路面は所々濡れていただけで雪も凍結も無く、130キロですっ飛ばして帰って来ることができた。およそ1時間半。これなら夏道と大して変わらない。
 ただ、高速を降りて寄った店の駐車場で車を見ると、高速道路に撒かれた融雪剤のせいでボディが真っ白になっていた。融雪剤というのは塩化物。早い話「塩」だ。実際にボディに付いたものを舐めてみると、しょっぱい。このままでは車体に良くないので、給油ついでにスタンドで洗車してもらう。

 帰省先での正月間、特にこれといった出来事も無かったが、以下記録程度に。
 大晦日には姉貴も帰り、年越しは一家全員だったが、元旦から仕事のため姉貴はその後すぐに帰宅。ただ託児所が正月休みのため、姪っ子だけが置いてかれる。姉貴の送り際に空を見ると、曇りで星はひとつも出ていない。こりゃ初日の出は無理だろうと、翌朝は寝過ごす事に。
 元旦。目醒めたが記憶に残る初夢は無し。特にする事も無いのでだらだら過ごす…はずだったが、一日中姪っ子の遊び相手をさせられる。もう4才なので結構疲れるのだが、なかなか放してもらえない。こちらが歩く時には常に片足にしがみついている状態だ。でもまだまだめんこいのでお年玉をあげる。車の中にあった小銭ばかりをジャラジャラと袋に詰める。正確な金額は不明。ただ、台所の秤で計ってみると丁度200グラムあったので、袋の裏書の金額のところには「200ぐらむ」と、そう書いて渡した。「はい、おとしだま。200ぐらむ」と。
 2日の午前2時に夜空を見上げる。北極星を中心にカシオペアと北斗七星、少し離れてオリオンが集うそんな星空を久しぶりに見た。西の空に立つオリオンと共にシリウスを眺めていると、シリウスの脇から、「ひしゃく」を上に立てている北斗七星の柄の下に向かって、星がひとつ尾を引いて流れた。今この時間。地球の夜の部分の上で、この流れ星を見ていたのは自分だけだろうな、と、なぜかふとそんな事を思っていた。今年初の流れ星。今度見るのはいつになるだろう。
 昼から両親と姪っ子に付いて近所の初売りへ行ってみる。子供の頃は原野ばかりだったところが、どんどん拓かれて町並に変わっている。帰省の度に景色が変わっているような状態が、これまでも、そして今でもずっと続いている。初売りの店内では、母(婆)が姪っ子(孫)にひたすら「あれ欲しい? これ欲しい?」と。でも子供の方が何欲しいと言い出す訳でもなく意外とクールなのが可笑しく、親父とふたりでニヤニヤしながらその様子を遠巻きに眺めていた。このくらいの子供は「あれ買って! これ買って!」だと思っていたので、ちょっと意外な気もした。物欲…というのは備わっているものではなく、意外とこうして造られてゆくもの、なのかも知れない。
 3日。親父が翌日「ソウハチ(カレイの一種)釣り」へ行くという。沖釣りだ。タナが80〜100メートル程の深さだというので、手巻きでは辛かろうと、退職祝いを兼ねて「電動リール」をプレゼントすることにした。早速釣具屋へ。でも電動リールはバッテリーなど付属品を含めると予想以上に高く、ボーナス後でそこそこ厚かったはずの財布の中から札が全て消えてしまった。
 ただ、3日は夜半から雨。荒れ模様となり、結局海も時化て船が出ず、電動リールのデビューは次の機会までお預けとなった。

 そういえば。
 年末に折れたベッドの脚は結局自分では直さず、今日の釣りがおじゃんになって手持ち無沙汰になっていた親父に、朝のうちやってもらった。感謝。


■2003.01.05 日

 禁煙した…という訳ではないのだが、職場で吸うのを止めているせいで、その本数がかなり減った。年末年始の休暇中も3日でひと箱吸うかどうか、というくらいの量になっていた。部屋でもあまり吸わなくなった。吸うにしてもこれまでは全く気にしていなかった匂いが気になるようになり、台所の換気扇の下で換気扇を回しながら吸ったりしている。もうこうなったら今年の目標は禁…。 いや、宣言はしとかない方がいいだろう。
 先程も換気扇を回しながら煙草を吸っていた。が、換気扇を強で回しても煙が外へと流れて行かない。それどころか、反対に風が室内に吹き込んでくる。外は吹雪だ。かなり荒れている。風がドンと建物にあたり、窓をガタガタッと鳴らす。その窓には雪があたり、バチバチと弾け続けている。煙突の中にも風が吹き込むのだろう。反射式ストーブの耐熱ガラスの円筒の中で、炎が時折ぼうぼうと音を立て、激しく踊っている。
 昨日、帰り際に母親からタッパ入りのヨーグルトを渡された。これを種菌として牛乳を加えるとヨーグルトができるのだという。でも、ヨーグルトといえば牛乳を一旦煮沸消毒して冷ましてから種菌を混ぜて、室温よりも高い温度で何時間も保温して…と、何かと面倒くさいイメージがあったので、最初は断った。だが、このヨーグルト菌はこれまでのものとは違い、常温でも発酵するし冷凍保存も可能なのだという。なので結局持ち帰り、昨日、買ってきた牛乳のパックの口から種菌を入れ、口を閉じて少し振ってから、そのまま灯油の室内タンクの上に放置しておいた。
 で、一晩おいて今日見てみたら、ちゃんとヨーグルトらしいものになっていた。しかも1リットルまるごと。ヨーグルトとしては空前の量だ。500の牛乳パックにしておけば良かった、と少し後悔しつつ、普段牛乳を飲むくらいのペースで結構食べる。あまりヨーグルト臭くなく、何となくできかけのチーズみたいだ。パンに塗ったりそのまま食べたりしていたが、やはりそのままでは少し飽きそうなので、これから少し味付けのバリエーションを考えようと思う。ブルーベリーでも買ってこようか。
 なんだかんだ言いつつ結構食べそうなので、2世代目を仕込み現在灯油タンクの上で発酵中。そういえば一人暮らしを始めてから部屋で生き物を飼うのは今回が初めてだった。…まぁ、菌なのだが。


■2002.01.06 月 (仕事始め)

 仕事始めはやっぱり除雪から始まった。除雪というよりは氷割りだ。踏み固められた雪が厚い氷となって層を成している玄関先。更にその上には屋根から落ちてきた氷の塊。こいつら相手にプラスチック製の除雪器具の出る幕は無い。ひたすらツルハシと剣先スコップを振るう。氷割りには柄の長い斧も使われる。これが実はツルハシよりも使い勝手がいい。ツルハシで氷をガキンとやると、弾けた氷の破片は顔を目掛けて飛び散ってくる。が、斧の場合はその頭の形状から、弾けた氷は顔への直撃を避けて両側に飛び散ってくれるのだ。とにかく、そんな2時間ほどの作業から今年の仕事は始まった。
 朝に見た時にはまだトロトロだったヨーグルト2世代目だが、帰って見るとちゃんと固まっていた。冬場の室温では大体24時間くらいが適当なようだ。今回は牛乳パックにそのまま菌を混ぜたものと、元はジャムの容器だった広口瓶に牛乳を入れ、菌を混ぜたものの2種類を、同じ灯油タンクの上に置いていた。すると、牛乳パックで作った方はしっかりと固まっていたが、瓶に入れた方は中身がトロトロのままだった。理由はまぁ判っている。瓶の蓋をしっかりと閉めていたからだろう。牛乳パックの方は片側だけ開けた口をそのまま閉じて、少し折り曲げていただけ。やっぱりヨーグルトも生き物。呼吸が必要なのだと実感する。
 牛乳パックのヨーグルトは冷蔵庫にしまい、瓶の方は蓋の口を緩めてもう一晩そのまま放置することにした。透明な瓶なので中身は丸見えだ。だが、とてもこれが呼吸している生き物には見えないのも確か。動くわけでも無いし、色が変わるわけでも無い。でも、瓶を揺すってみると粘性が高まってきている、その事も確か。不思議なものだ。
 まぁ、このままずっと放置しておいたらヨーグルト以外の様々なモノが増殖しだして、今は真っ白な瓶の中身も黄色や赤褐色、茶色や緑、そうして最終的には黒へと、日々カラフルにその姿を変え、見る者の目を楽しませてくれる…訳が無い。想像停止。
 でも相手がどちらも菌である以上、そうなる事とは紙一重のような気がして、ヨーグルトをすくったり混ぜたりするスプーンは、ちゃんと熱湯消毒したものを使っていたりする。まだまだ興味が尽きない、そういう何かを飼い始めたばかりの段階だ。


■2003.01.09 木

 まるで雪融けの季節のような、暖かかった1日。融けかかりの雪が、まるで水を吸わせた真綿のようにじっとりと重くなっている。固めて何かを作ったり、丸めて誰かにぶつけたりするのにぴったりの雪だ。通勤経路の電柱に、子供が雪球をぶつけたらしい雪の跡が幾つも点々と残されていた。
 職場も休暇中の人員が概ね戻り、普段のペースを取り戻している。昨日今日と少し忙しかったが、大きな事業を抱えていた昨年の今頃に比べれば落ち着いたものだ。昨日は来年度の事業計画の絡みで会議に参加。その場で少し年度末の人事の話が出る。他地域への転勤の希望者については、なかなかその希望どおりにはいかない見通しなのだという。この先何年かかけて、この仕事の北海道内での事業規模はかなり縮小される予定になっている。全国的に見ても事業の重点が道外…とりわけ南の方に移ってきている。そのため、どこも人員を減らす事に精一杯で、新たな人員を受け入れる余裕が無いのだそうだ。年度末の人事は未だ流動的。そんな話を聞いて、少し憂鬱になる。
 でも、今日になって自分絡みの人事の話に、少し動きが出たようだ。こちらは昨年、関東のとある場所への転勤話を上司から内々に持ちかけられ、それを了承している。今日その上司と話をしていた折、その件が持ち出された。肝心な所は濁されたが、先方から直接のオファーがきているらしい。こちらの転勤についてはもうその場所で決まり、という感じで、上のレベルで動き始めているようだ。
 相手方からも需要がある、というのは結構なのだが、問題はその時期だ。今からそのレベルで話が進んでいるというのは、ちょっと怖くもある。新しいセクションの新設と共に配属され、立ち上げから関わって現在2年目の今の仕事。今年度はまだようやく流れが出来た、という段階に過ぎない。来年度の1年間に確立させたものが、これからの少なくとも10年間の仕事の流れを決定するだろう。なので個人的にはあと1年、この仕事に携わりたいのだ。その旨の希望も、伝えてはいる。
 だが、今年度をまだ3ヶ月残した今の時点でのそういう人事話。その上司にはこちらの希望を汲んでもらってはいるが、それより更に上のレベルで、今の自分の仕事がもう次の人に引き継いでも大丈夫な段階にきていると判断されたなら、今年春の転勤というのも充分に考えられる話なのだ。
 新年度を迎えるまでのこれから数ヶ月は、ちょっと不安定な、でも気の抜けない日々となるだろう。自身の希望と他者との関わり。その間のバランスの問題もある。上手く均衡がとれるといい。今はどちらにも対応できる心構えが必要だろう。
 まぁどちらにしろ。今年1年が自分にとっては公私共に重要な1年であること。そのことに変わりはないのだ。


■2003.01.10 金

 先程までテレビでやっていた映画を見ていた。インデペンデンス・デイ。アメリカ合衆国万歳な映画だ。独立記念日に大統領自ら戦闘機に乗り込み、人類の命運を決する大空中戦の舞台へと飛び立ってゆく。勇ましい。でも、直径が20キロ以上もある、という巨大な宇宙人の円盤に空対空ミサイルのみで立ち向かう、そんなパイロット達の気が知れない。「打撃力不足です!」…って、そりゃ当然だろう。上から爆弾でも落としなさい。
 そんな話はともかく、この映画。実は公開された時に友達と見に行った映画でもある。そして何よりも、この映画には大きな思い出が絡んでいる。
 映画を見ていた自分の奥深いところで、コトン、と引出しが開いた気がした。
 当時住んでいた町には映画館など無かったので、近郊の映画館のある街まで車で行き、駅前のデパートに車を置いて、映画館までは歩いて行った。映画の後で解散したので、帰り道は1人だった。車を置いてきたデパートに入ったのは閉店近く。屋上駐車場に車を停めていたので、2階の売り場の間を縫って駐車場入り口へと向かった。辺りは紳士物の衣料品売り場だった。ふと目がとまって、その売り場のひとつでTシャツやトランクス、靴下等の下着類をいくつか買った。そしてレジに向かった。レジの女の子に買い物かごを差し出すと、そのレジの女の子がぽかんと口を開けたびっくりしたような顔をして、じっとこちらの顔を見詰めていた。
 その顔に見憶えがあった。学生時代に同じ学科の同じ組にいた人だ。こちらも驚く。彼女が疑問系でこちらの名を呼ぶ。そうそう俺だよ。懐かしい、びっくりした。そんな事を言いながら実は名前が思い出せていなかったが、幸い彼女は平仮名の名札を付けていたので、事無きを得た。
 閉店間際だったので、その後少し時間を取って、色々と話をした。名前も思い出せなかったくらいだから、学生時代に親しく話をした事は無かったのだが、この場合は別だった。学校があった街から200キロも離れた、過去の自分を知っている者など誰ひとりいないはずの街での再会。しかも卒業から2年ほどの時を経て、互いに違う街に住んでいたのにも関わらず。この広い店内で出会うだけでもいい確率なのに、それより遥かに広い世界の中を漂っていた点と点が、ぶつかり合ったという偶然。
 彼女とはそれからちょっと仲良くなり、会って話をする度に、その偶然を繰り返し持ち出しては味わった。あの時どうしてあそこでパンツを買ったんだろう、と、何故かパンツの話になる事が多かったような気もするが。


■2003.01.11 土

 夜になって母から電話。昨年の2月に亡くなった母方の祖母の法事の日付が決まった、と。坊さんが来るのは命日だが、行事的なものは皆が集まれるように平日を外したという。1年が経つのか。もう既に形式的になってしまった喪も、来月には明ける。今年来た年賀状への返信はそれからにしようと思う。
 昨日、あの書き始めであの終わりになるとは、書き始めた時の自分には予想できなかった。本当はもっと書く事があったのだが、途中で眠くなってしまった。でも、今日は昨日と気持ちが繋がっているようなので、その続きとする。決してパンツの話ばかりしていたわけでは無いのだ。
 学生の時には知らなかったのだが、出会ったその街は彼女の地元だった。彼女は卒業してから実家に戻ってその店に就職したのだが、その後しばらくしてその店が潰れ、一時期無職になった。一番頻繁に会っていたのは、その時期だろうか。土日が勝負の販売業だった彼女とはその在職中、とにかく休みが合わなかった。そして多分、その頃だったと思う。車で家まで送り、家の前にはもう着いているのだけど、車を停めたままずっとその中でお喋りしていた時。その時また偶然の話をしていたその途中。「ああいう偶然って運命的なものだと思う?」と、そんな事を彼女に訊かれ、いやぁ、偶然じゃないの、とそんな風に答えた。最初の出会いなんて全て偶然で、でも、ああいうことがもう1度あったら、それはひょっとしたら運命かも知れない。そんな話をすると彼女は「あの時が2度目だったのかも」と言う。最初の偶然は学生時代に既に起こっていたのだと。
 その後も何言か言葉は交わしたはずだけど、詳しくは憶えていない。ただ、彼女がその後何度か「運命」という言葉を口にしたことと、自分が最後に「じゃ、あの時が運命だったことにしよう!」と、そんな事を言ったのは憶えている。そして、その後少し黙って正面を向いていた彼女の横顔を、こちらもしばらく見詰めていた事も。
 出会ってから数年経ち、この街へ引っ越してからは殆ど会っていない。彼女もまた販売業に職を得て、そことは違った街に住んで働いている。今でもたまに近況のやりとりはしているが、出会いの時の話が出くることはない。あの偶然も、もう既に味わい尽くしたという感じだ。偶然がもたらしたときめきのようなものが醒めてしまった後の、今が本来の収まるべき距離にいる時、なのかも知れない。
 ただ、あの車の中での会話の後の、彼女の横顔。その時の表情は、その時よりも後になってから、会うこと自体も疎らになってからの方が、はっきりと思い出せるようになった。どうして、だろう。

 さ。そろそろ引出しを閉めとこう。今現在の思いがあまり深く絡まないうちに。

 …コトン。


■2003.01.12 日

 ここの日付は手打ちなので、西暦を打つ時、未だに「2002」と打って慌てて取り消したりしている。昨日も今日もそうだった。今月一杯はまだまだこんな感じが続きそうだ。
 出かけた帰りに立ち寄ったスーパーで買い物。カゴを持って食料品売り場を回る。最近、こうした店では入り口から入って順序どおりにぐるっと回るより、その逆順で回った方が都合がいい事に気づいた。スーパーの食料品売り場の並び、というのは大抵、入り口側から野菜、魚、肉の順で並んでいる。酒類や乳製品のコーナーはその後に続いている事が多い。でも、その順序で買い物カゴに商品を詰め込んでゆくと、どうしても潰れやすそうなものから順に、底に溜まってゆく事になる。積み重ねの利便、という点のみにおいては、バナナ、サバ、味付けホルモン、ビール6缶パック…という順でカゴに入れてゆくよりは逆の方がいいだろう、と。まぁ、どうでもいい事なのだが。
 魚売り場に並んでいた地物の魚に興味深々。自分が普段釣っている魚には、こんな値段が付けられているのか、と。一番馴染みのアブラコは、35センチくらいの1匹で580円。こんなものか。釣果の単位が「1バケツ・2バケツ」のチカは、1パック10匹程度入って380円。バケツ1杯は幾らになるだろう。ソイは養殖されているだけあってやはり高級魚だ。うわ、1匹800円もするよ。このくらいのサイズなら、大潮の夜だったら15匹は釣れる…などと思いつつ、いけない事を考えてみたりする。
 魚売り場は楽しい。子供の頃から大好きだった。親が地元の港街の市場へ行く時には必ずついて行って、たまに並ぶアンコウだとか珍しい魚を見て興奮してしまって、突付いたり口をガバッと開けたりして怒られたり。縮んだり内臓を吐くのが面白くてパックの上からナマコを突付いていたら、突付きすぎてパックに穴を開けてしまって怒られたり。活ダコをちょしてたら腕を絡まれて怒られたり(キスマークが腕に何個も残った)。カジカの開いていた口に指を入れたらまだ生きていて、パクッと口を閉じられ指が穴と血だらけになった上に怒られたり。子供の頃から「触っちゃダメ!」というものでも、手が届くところにあって興味をひかれるものには触れて確かめずにはいられない性格で…これは今でも大して変わっていないか。
 そうして怒られてばかりいたような気もするが、とにかく、港街にあった市場は楽しい所だった。今はもう、あの市場も普通のスーパーの魚売り場みたいになってしまっているのだが。


■2003.01.13 月

 日中は暖かく、道路の雪もかなり融けていた。今日は成人の日。車で走っているとやはり新成人の姿があちこちで目立った。雪は降ってないし路面も融けているし、今日は成人式日和…では無い。新成人(女の子)にとって今日のような天気は最悪である。いや、新成人だけでは無い。ドライバーにとってもだ。この雪融けグシャグシャ路面。振袖にバシャっと泥水でも撥ねてしまったらどういう事になるか。書かなくても判るだろう。
 なので今日は振袖姿の女の子を見つける度に思いっきり徐行したり、除雪の雪で道幅が狭くなっているところでは対向車線まで避けたりと、普段の10倍くらい気を遣って運転していた。振袖姿の女の子には一滴の水も撥ねないように(…まぁ野郎はどうでもいいや)と。

 振袖は高くつく。それと似たような、でもその額が桁違いな話がもうひとつある。札幌に住む前、ある田舎の馬産地に住んでいた頃の話。競走馬の場産地なので、運転しているとよく「競走馬輸送中」という札を掲げたトラックに出会う事がある。で、その辺りのドライバーの間ではこういう事がよく言われていた。「競走馬輸送中のトラックの後ろには絶対に付くな」というもの。そういった地方のドライバーにとって、これはもう殆ど鉄則だった。この理由もまぁ、書かなくても判るだろう。万一追突した場合、どんな状況であれ後続ドライバーは事故責任から逃れられないのだ。
 とにかく、競走馬も高くつく。時にはその賠償額が「人間」よりも高くつく。それに、競走馬は脆い。足1本でも折ってしまったら、もうそれでその馬を殺したのと同じだ。真偽は定かでは無いが、事故で馬にも人にも死者は出なかったのに(馬は後に処分されたかも知れないが)、その後事故を起こしたドライバーが自殺してしまった…そんな「伝説」も有名だった。
 掛けている保険の金額や種類にもよるが、競走馬輸送中の札を掲げたトラックに追突しそうな状況で、もし選ぶ余裕があるのなら、そのトラックに突っ込むよりは路肩に落ちるか電柱に当たった方がいいだろう。相手が実は空荷だったら悔しいが、その選択の方が人生をダメにするリスクは少ない。自分の怪我はひどくなるかも知れないが。

 そういえば。こういう黒い格言もあった。

 『人か馬か迷ったら、人』

 極端だがこれには、時に人間よりも馬の値段の方が高く付いてしまう…という現実への皮肉と併せて、どうせこんな田舎道を歩いているのは老人ばかりだ、という過疎地の現実に対する皮肉も込められている。冗談で語られている事には違いないが、そうした地方ではこうした事も、結構真顔で語られているのだ。

※ 追記

 日記中の「競走馬の怪我=処分」ともとれる表現について、これは馬産とは関係のない筆者の部分的なものの見方に過ぎないこと、怪我や引退により競走馬の役目を終えた馬達について、愛情をもってその余生を支えようとという試みも無数にあるということ、しかし現実はまだまだ厳しく悲しいものだということを、ここに補足します。
 そういった実情を深く知りたいという方には、こちらが色々書くよりもそれについての好著があるので、そちらを紹介します。競走馬を愛する方は書店に注文してでも読む価値がある本だと思います。

 『馬の瞳をみつめて』 渡辺はるみ著  桜桃書房刊

■2003.01.14 火

 昨日の日記の最後について、老人なら轢いてもいいのか、という反発は無いのだろうか、とふと考えた。あくまでも命につけられる「価格差」への皮肉を込めて言われているジョークなのだが。ただ、こういう書き方は時に誰かを不快にさせるもの、かも知れない。本当はこういう事、先に気付いてよく考えてから載せらればいいのだが。

 朝起きるとふわっと雪が積もっていた。「ふわっと」というのは、足首よりちょっと上くらいまで積もった時か。それより少ないときには「さらっと」。それよりも多く積もったときには「どかっと」雪が積もった、と言っている。朝礼ではこの職場にも何人かいる新成人が、壇上に立ってのご挨拶。それぞれ大声で「大人になったぁ、自覚ぅ」だとか「10代から20代になったといぅ…」だとかそんな事を、旧成人達を前に叫んでいた。
 自分の転勤の話について、職場では結構話が広がっていて、「よく行く気になったねぇ」というような事をよく言われる。そういう問いに対して「いやぁ、雪の無い世界に住みてぇから」などと答えたりもしているが、そんな訳は無い。行く気になった理由は無数にあるのだ。現実的な理由から、もっと抽象的な理由まで、様々。
 でもそれよりは、「行きたくない理由」が大して見つからなかった、その方が大きいのかも知れない。ひとつの土地に確固とした基盤…変わらぬ故郷に住み続けている、だとか家庭を持っている、だとか…という人と自分とは違う。高卒後、何年かおきに違う土地に点々と住んできたせいだろう。好きな土地はあるが、執着する土地というのが、今の自分の中にはあまり無いのだ。
 じゃあ、故郷はどうだろう。自分が育った土地。それだけは自分が執着できる、変わらずそこにあり続ける土地ではないのか。
 それもまた、違うのだ。年を経る毎にその風景を大きく変えてゆく。そんな土地で自分は育った。原野と湿地帯が取り囲む中に、ぽつんと建った家。次第に木が切られ、土地改良が行われ、周りが宅地化してゆく。子供の頃は隣街の製鉄所関係に勤めていた家庭の友達が多かったが、鉄鋼不況のあおりでその多くが内地へと引っ越して行った。遊び場の山が崩され、拓かれて土が盛られ、高速道路が建設されてゆく驚き。それに伴って幾つかの川の流れが消滅してしまった事への衝撃。
 観光以外には大した産業も無く、進学すべき学校も地元にはそれほど多くない。卒業と共にあっというまに各地へ散り散りとなってしまった友人達。自分もその中のひとりだ。そしてそれからずっと、帰る度にその風景を変え続ける故郷。今でも変わらずにあり続けるのは、僅かに残った人達と、人の力では変えようのない海や山並み、そして夏に続く長雨といったその土地の風土だけ。

 遠くにあっても、その風景を変えずにあり続ける故郷を持っている人は、幸せだと思う。だが、今の自分の親くらいの世代の多くがそうであるように、自分の原風景とも言える産まれ育った故郷の風景。それがまだ30にも満たない自分にすら、もう残されていないのだ。
 だが失われてしまった分、自分にとっての故郷の風景というのは、逆に記憶の中で安定しているのかも知れない。それはこの先どんな土地で住む事になろうが常に身近にあり続けるもので、多分、今の自分はそこに根差しているのだと思う。
 だから、これはもう全く根拠の無い自信なのだが、自分はどこに行ってもその土地に住めると思う。どこに住もうがそこは故郷の隣町のようなものなのだと。何となくそう感じるのだ。失われてもなお確かに残り続ける。自分はいい風景の中で育ったと思う。

 …と書いていて、ふと思った。
 還ってきたら自分の産まれた川が無くなってしまっていた。そういう時、鮭は一体どうするのだろうか。

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